体重62キロと47キロをいったりきたりしたら面白くなった件について

過去投稿分(2016年12月~2023年12月)
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友人とご飯を食べることになった。お店えらびにいたり、「炭水化物とたんぱく質のは多い料理はなにかな〜?」と、ウキウキしていた。すっごく美味しいバイキングを目の前にした女性並みに楽しそうだった。

現在、「私は○○キロになる!」と常々言っている。3月も半ばになり、薄着の季節に向かう今、真冬の間に溜め込んだ脂肪を減らすのは、最重要課題なのだ。

あえてダイエット中の人間に炭水化物攻撃をしかけようとする友人。想像の斜め上をいく応援の仕方。真性のどSに違いない。こういう面白い人が好物な私はきっとどM。

私は身長161センチで50キロ台の体重である。今でこそ恒例行事のようにダイエットと無駄な努力をしているけれど、過去に62キロと47キロを何回か往復している。摂食障害だったわけでもない。

というわけで、これからの減量に向けた振り返りもかねて、自身の体重の変化について記そうと思う。

62キロの大学生、ヤマトでバイトする

私は元々、50キロ前半をプラスマイナス2〜3キロで行ったりきたりしていた。ダイエットしなきゃ~と言うことはあった。でも、それは女子高生が「まつ毛が一本あるかないかで私の人生は決まるんだよ」というような、熱病みたいな感覚だった。

それが、大学生になってから一変してしまう。浪人した末に入学した大学は、片道2時間半かかるところにあった。元々、学校生活や集団行動だった。大学でも人との距離のとりかたに悩み、思いっきり鬱々とした日々を送った。学生デビューというのはマチュピチュほどに遠い世界の話だった。

大学3年生くらいの時だった。何気なく体重計にのったら、針は62キロを指していた。食生活は今までどおりだったし、暴飲暴食をしたわけでもない。肉体的には2時間半かけて学校に通っていたり、バイトをしていたにもかかわらず、だ。

52〜4キロ→62キロ

普通はそんな体重になる前に気づくだろう。しかし、当時は外見や外の世界と自分を隔てていたのだった。1人マチュピチュ、おそろしや。

60キロの大台突破には衝撃を受ける。困った私は毎日毎日、自分の体を鏡に映して「絶対痩せたい!絶対痩せたい!」と念仏のように唱えた。強く、強く、何度もなんども唱えた。

「この娘(姉)は気がおかしくなったに違いない」家族はさぞ、違った意味で心配したに違いない。

その後、就活と並行してヤマト運輸で荷物の仕分けの仕事をした。集荷場でベルトコンベアに乗って流れてくる荷物。それを配送先別のカーゴに入れていく作業だった。いわゆる肉体労働にあたり、初日は暑くて暑くて、労働後にペットボトルのお茶を2本も飲んだことを覚えている。なんだかんだで、いつのまにか体重は元に戻っていた。念仏は効いたわけだった。

62キロ→52~54キロ

62キロの校正、ハイヤーの運転手に体重を見抜かれる

 

その後、就職活動に失敗した。なんとか営業事務の仕事を得て、数年後に執筆をしていこうと決断した。直接的に自分を出すことは苦手な私が、外の世界と関わるツール。それが、書くことだった。のちに校正として出版社で働くようになる。しかし、ここでもまた62キロに体重が増加してしまう。

その時も大幅な食生活の変化を経験したわけではない。社食はたしかに肉や炭水化物が多いメニューだったが、朝と夜や間食が増加したわけでもない。ただ、このころも悶々としていた。もうこれから先はあまり人と関わらないで生きていこうと半ば真剣に考えていた。ここまで書いてきて思うのだけど、私は本当に根暗だな。

勤め先には、役員専用の車や運転手がいた。ちょうどいつも通る道に運転手の詰所があり、私はそこの運転手と仲良くなった。年配の男性ではあったけど、気さくで話しやすい男性だった。

ある日通りかかった時だった。男性はわたしをじっと見て、「もしかして太った?10キロくらい」と見抜いてきた。やばいっ!さすがにそんなことは知られるわけにはいかなかったので、「まっさかぁあああ♪」といってごまかすことに成功した。

だれにも言ってなかったのになぜばれたんだろう?まあ、体型を見て、ということなんだろうけど。男性のこの手の推測は非常に正確でこまりものだと思う。

54キロ→62キロ

47キロの私は夜中にマックフライポテトLをむさぼった

それから、ホテルで清掃の仕事を始める。そのころはプライベートもごたごたしており、本当に落ち着かない生活を送っていた。

 

ホテルの清掃は、お客様のチェックインが最優先なので、とにかく時間勝負になる。清掃がいつまでたっても遅い私には、なかなかまとまった食事の時間を取りづらかった。

 

62キロまでぶくぶく増えていた私の体重はあっという間に減っていった。

 

最初は週2日くらいではじめた清掃の仕事だった。しかし、いつの間にかフルタイムで働くようになっていく。そしてなぜかホテルの清掃が終わってから、別のホテルで清掃するといったホテル清掃ダブルワークにまでつながっていった。朝早くから出勤し、二つ目の清掃を終えて帰宅するころには日付が変わっていた。

 

そして、私は夜中にマックフライポテトLを食べて帰るアラサーの女に変貌していた。

 

あまり食事のできない状態で長時間肉体労働すると、人はどんな精神状態になるのか?

このころの私は、とにかく食べて食べて食べまくっていた。今、栄養を取っておかなければ、次にはいつ取れるかわからない。体は生命維持の本能に従い、やたらと私を食事にかきたててきた。しかも、消費が激しすぎて食べても食べても体重が増えず、気がついていたら体重は47キロまで減っていた。その後、校正校閲の仕事に戻るまで、体重は47キロのままだった。

62キロ→47キロ

 

終わりに 校正に戻って、体重まで戻った話

 

その後、校正校閲として働きはじめたのをきっかけとして、体重は増加をはじめた。今は50キロ台の中でうろちょろと前後している。

いままでをまとめると、50前半➡62➡50前半➡62➡47➡50キロ台となる。

こうして考えると、私の体重は精神的に溜め込んだ時に一緒に増えてしまうらしい。62キロを二回経験したわけだけど、今は違う。

色々あったけれど、書くという行為自体が今では私の大きな励みになっている。

そして、昔はあんなに悩んだ人との距離も、失敗を沢山しながらも友達や導いてくれる人に恵まれるようになった。

体重が62と47キロをいったり来たりしている間に、生きることがどんどん面白くなってきた。失ったことも取り返しのつかないこともある。でも、今生きていることがいちばんたのしい。

これから薄着の季節を迎える。ますます、生きることを楽しんでみようと思う。

 

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