媒体別にキャラを使い分けるジャイアンはSNS時代の申し子になったのだろうか?

過去投稿分(2016年12月~2023年12月)
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一定の仮説を考えてみる。

最近のジャイアンは出演媒体によるキャラの使い分けをマスターしたのではないかと。

オレンジ色の服にずんぐりむっくりとした体型の少年は、いつの間にか現代仕様にアップデートしてしまったのではないかと。

もはや、私たちが幼い頃に初めて見た頃の彼と、今の彼は違うのではないかと。

さらに複雑な側面を持つようになったのではないかと。

ならば、キャラ使いをマスターした彼と私はこれからどうつきあっていけばいいのか。

幼いときより、ドラえもんに親しんできた。

それはドラえもんに大代のぶ代さんが声を当ててきたときからだ。静ちゃんも、今ほど可愛いビジュアルになる前からだ。

その中で、ジャイアンはいじめっこのキャラとして登場する。しかし、このジャイアン、映画になるとキャラが変わってしまう。

途端に敵と勇猛果敢に戦ったり、友達を庇ったり、力仕事を担当したりする。いわゆる、頼れる兄貴になってしまうのだ。

でも、それは映画の中だけのこと。

映画を見てから、テレビで見るジャイアンは、やっぱりいじめっこのままだった。

幼い私はこのギャップにいつも納得いかず、悩んだものだった。

なんでテレビと映画でキャラが違うんだろう?どっちが本当のジャイアンだろう、と。

人はアニメと映画でこんなにも変貌できるものなか、と。

人の中に存在する、様々な性質。
それは決して1面が全面ではないことに初めてぶち当たった瞬間だったのかもしれない。

大人になり、ドラえもんを見ることから遠ざかってしまったけれど、最近はジャイアンにまた変化が起きていると知った。

テレビと原作と映画では、ジャイアンのキャラが違うらしいのだ。

原作ではいじめっこ、映画では頼れる兄貴、テレビではいいやつ。そんな媒体によるキャラ違いが起きているらしいのだ。

SNSによって、キャラを使い分ける。

確かに現代では、そんな使い分けをする方もおられるだろう。そのことについてとやかく言いたいのではないのです。

問題は彼、ジャイアンだ。

そこで仮説を立ててみる。

ジャイアンは出演媒体によるキャラの使い分けをマスターしたのではないかと。

オレンジ色の服にずんぐりむっくりとした体型の少年は、いつの間にか現代仕様にアップデートしてしまったのではないかと。

もはや、私が幼い頃に初めて見た頃の彼と、今の彼は違うのではないかと。

さらに複雑な側面を持つようになったのではないかと。

ならば、キャラ使いをマスターした彼と私はこれからどうつきあっていけばいいのか。

原作とアニメと映画でキャラを使い分ける彼、剛田武。3刀流のメディア媒体を使い分ける剛の者。

他人を変えることなどできない。
山のような失敗の果てにようやく私はそれを悟っている。
だから、キャラ使い分けのジャイアンを私の力で変えることはできない。

それは、わかってるんだ。

それでも、私は言いたい。

ジャイアン。

あなたは。

あなたの本性は、原作者藤子・F・不二雄先生の世界観を優先するならば。

基本的に「ゲス」。

日本中に「お前のものはおれのもの。おれのものもおれのもの」というジャイアニズムなる一般教養を広めたあなた。

のび太や子分スネ夫をカモに、人のものをぶんどって返さないという強欲さ。

需要のまったくない自分リサイタルを無理やりアピールする自己顕示欲。

やられたらやりかえす、報復大好きな気性。

そして母親の前ではごめんよと平謝りする環境適応能力。

しずかちゃんの前ではいい格好を見せようとする健気さ(うまくいくかどうかは別として)。

あなたはゲスです。

そして、あなたはめちゃくちゃ人間くさい。

人間くさい、あなたを見ると私はどうしても思うのです。

欲がない人間なんているのか?
なにか望むことが大なり小なりあるから、行動するんじゃないのか?

自己顕示欲のない人間なんているのか?
そもそも文章を一目にさらしたいと願うことだって、立派な自己顕示欲だ。

なにかがあってくやしいって思ったことのない人間なんているんだろうか?

環境に自分なりに適応せずに社会生活を営める人間なんているんだろうか?

好きな人の前で自分をよくみせたくない人間なんているんだろうか?

ジャイアンのゲス味、外に出すか出さないかは別として、私は全部持っている。

クリーンであることが推される現代に、臆すことなくゲス味をさらし続けるジャイアン。

私はジャイアンを見るたびに自分のゲスさを思い出す。

それはジャイアンがジャイアンらしくゲスとしてふるまってこそだ。

リアルでお友達になりたいかどうかは別として、
私はジャイアンにゲスらしくいてほしい。

中途半端にいいやつになんてなろうとしなくていい。

元々少ない資質を生かそうとしていい人になろうとしても苦労するし、不自然なだけだ。

媒体によってキャラなんか使い分けなくてもいいから、

どうか、ゲスはゲスらしく振舞ってほしい。

そしてたまに映画なんかに出るときは、数少い資質である「頼れる兄貴成分」を見せてくれるくらいでいい。

映画出演サービスとして。

長くなったけど、私は今後もゲスジャイアンを望む。

ゲスジャイアン永遠なれ!!

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