もしや、これが人を好きになるということなんだろうか?
その人と実際に会ったのは2回。最初はイベントで、その次は写真教室で。SNSで繋がってはいるけれど、深い付き合いがあるわけではない。写真教室に行けば会えるのかもしれないけれど、仕事だなんだで日常に流されて参加していない。だから、私の中で相手との直接的なやりとりはほんのわずか。
でも。
ふっと思い出す。そして忘れられない。
「引いて引いて引いて!そこー!」生徒に撮影の指導をする声。おおっすげえ、と生徒の撮った写真を褒める表情。なにそれ?と好奇心いっぱいに相手の話に食いつく姿勢。でもそれは撮影している間のこと。初めて会う生徒に、落ち着いたものごしでカメラの説明をしている。どの瞬間もありありと思い出せる。
はて、これが人を好きになるということ?
しかし、その人は女性なのだ。私の脳裏には女性のプロカメラマンの姿が焼き付いて離れない。(女性のカメラ「マン」というのもなんか矛盾している。どう呼ぶんだろう?)
私は同性を好きになったことがない。自分は生物学的にいうと女性だし、世の中でも女性の端っこあたりでほそぼそと営業している。けれど、恋愛対象に女性がエントリーしてきたことはない。絵画でも温泉でも身近な人でも、女性の美しさを賞賛することはあるけれど、それは精緻な彫刻や絵画を観て湧いてくる感情と一緒だ。
それはプロカメラマンの女性に対しても同じ。別に相手と直接どうなりたいとか、どうしたいとかはない。今後また会えたら嬉しいけれど、会えなくてもいいと思う。ただ、この世界に存在してくれているのが嬉しい。相手は仕事上の生徒として私に会ったのだから、とっくに忘れているかもしれない。でも、それでもいい。
そうだ、私は彼女に憧れているのだ。
彼女の撮る写真に。その写真を撮るために費やした労力に。そして被写体を追うときに出してくるエネルギーに。目の前のことを体全体で感じて、写真という形に焼き付ける。心に響くものを、新しく巡り合ったものを、哀しみさえ味わいつくす、それを表現できる。そんな彼女に憧れているのだ。そして、それは自分の在りたい姿でもあるんだ。
憧れの彼女。私も彼女のような在り方ができますように。そう願って今日も明日も明後日も書き続ける。