早朝からヨガの レッスンに参加してきました。
そもそも私は恐ろしいほどの運動音痴。
とび箱でタイミングを間違えて跳び箱に衝突するし、 台上前転という跳び箱の上で一回転する飛び方ではなぜか横にそれてしまって跳び箱から落ちる始末。
もちろん車の運転なんてできようはずもなく。 スーパーマリオカートやると逆走して雲に乗った亀さんに注意ばかりされました。その時は亀さんにぴっぴー、ぴっぴーと注意されるのが楽しかったんですよ。かわいくないですか?怒る亀さん。
「こいつにルールは守れない」と思われたのか、家族に満場一致で運転免許だけは取るなど厳命されてしまいました。
それほどの運動音痴にのくわえて長年のデスクワーク。肩がバリバリすぎてもはや痛みなのかわからないほどです。ううう、壊滅的な身体能力。
そんな私に手を差し伸べるように、ヨガに誘ってくれた友達は バリバリのアスリート。
フリーダイビング(素潜り)や朝練と称した体の鍛錬を怠らないスーパーウーマン。もはや種類がちがうのでは。きっと別の星からやってきてる。
そんな彼女がインストラクターを務めるヨガ。
できないはできないなりに面白い。
体の各部位を伸ばしたり、負荷をかけたりするわけですが、型を通して自分の身体を観察するんですね。今の動作は肩甲骨が伸びてるんだなぁとか。そうすると新しい発見がありました。
今まで自分の身体を割とパーツとしか考えていなかったけれど(二の腕が太いとか二の腕が太いとか)、全体があって、その中の部分部分で筋肉がついているところや弱い部分がわかる。
そうすると日常生活時を振り返ることにもつながるわけです。
と、書きながら気づきました。
型を通して自分の内側を掘り出していくということでは、このブログも同じなのかもしれません。
「このブログの宛先は誰なんだろう」
去年は休み休みに書いていたブログでした。が 私がいつもSNSなどで文章を書くときに考えるのは、
宛先はだれかということなんですね。
書くのはもちろん人に読んでほしいからなのですが、読んでほしい人と自分との距離がつかみにくい。
人との関係でも悩むのは人との距離についてです。会っている人、文章を読んでくれる人との距離感のつかみ方がどうもいまいち確信が持てない。
人の場合は、まず知らない人のところに出て行くのは緊張する。
出ていく前から緊張するわけです。 どうしようかなどんな人かしら、強い人かしら、 うまく会話ができなかったらどうしよう。面白い話なんてあるのかな?そもそも何でここに来てんだろ私とか悩むわけです。
でもその場所に行くことを選んだんだから、もう割り切って、こちらから話しかけた方が手っ取り早いという風になります。
話しかけた時から、 見知らぬ人は鬼ヶ島にいる天狗ではなくて、普通の肉体を持った人間になります。その話しかけるまでの葛藤が非常に強い。
そこで、このブログでも迷うわけです。
おおお、私はこのブログとどういうスタンスで向き合えばいいんだろうって。
世の中はいかに自分を売り込むか、いかに自社商品をアピールするかというマーケティング戦国時代にですよ?
いかに自分(自社)の提供するしゃぶしゃぶは素晴らしいかをどこもかしこもアピールする、しゃぶしゃぶ戦国時代にですよ?
木刀って左手が下ですか?右手が下ですか?とか言ってるようなものです。
なんらかの文章を書くときに、人に読んでもらうようにするため、人の目につくようにするため、 そのためのテクニックはどうしても必須です。
でもね、思ったんです。
そういった約束事とは別に、 誰の要望でもないけど、書いて公開する文章があってもいいんじゃないか と。
じゃあ、このブログの宛先は親しい友人を想像して書こうって。
私は今まで生きてきて失敗を山のようにして(七草粥に塩いれすぎたりとか)、大きいから小さいまでいろいろやらかしてきたわけです。
それでも、その都度助けてくれる友達がいて、沢山助けてもらってきてるわけですよ。
その人たちに向けた気持ちで、近況報告もかねて、このブログを書いていこうと思います。
誰でも、私も、まったく同じ条件で全く同じ経験をすることは二度とできないですよね。
二度とこない、その時その時に、考えたり、思ったりしたこと、季節の和菓子でも贈るように綴ります。
これからこのブログを書き続けるにあたってスタンスは決めておきたくなったので、書きました。
お仕事履歴などは別の項目で掲載していくので、それはそれでよろしくお願いします。