「謝らなきゃいけないことがあるの」
家に入るなり、母は銀のまるい固まりを差し出してきた。手のひらに置かれたそれを見る。嫌な予感は的中し、私はまたか〜と心の中で呻く。それは先日、母親が絡まりあって瘤状にした(元)ネックレスたちの姿だった。
夜中をかけてほどいたネックレスは残りの2割をほぐせば、元どおりになる。太いチェーンはヘッドがアメジスト、細いチェーンはひし形のもの。時間はかかるかもしれないけど、希望は見えていた。
ジュエリーオーナーの友達たち曰く、アメジストなら超音波洗浄機を使って小麦粉を綺麗に落とすことができるとのこと。超音波洗浄機とは、メガネ屋さんの店頭によく置かれている、メガネをクリーニングできる小さな機械である。貴金属もできるらしいけど、石によってはダメなものもあるらしい。その矢先のことだった。
「なんとか元に戻そうとがんばったんだけど」
母、さらにもうひとつの何かを差し出す。
ネックレスヘッドだった。
細いチェーンのネックレス、チェーンからひきちぎられ、お亡くなりになっていた。
母は自分が娘のネックレスをがんじがらめにしたことをすまないと思い、自力で元に戻そうとアイテムを駆使したという。前回は小麦粉で。今回は輪ゴムで。机にネックレスを押し当て輪ゴムでゴリゴリゴリゴリしたものと思われる。
小麦粉にまみれたネックレスは輪ゴムにより、一層強くからまり合い、ヘッド部分はちぎれて取れてしまった。ネックレスはどんなに細身のものでも、かなり力を入れないとそうそうヘッド部分はちぎれたりしないのではないだろうか。
大ババ様「燃やすしかない。この森はもう駄目じゃ」
風の谷の年配男性「なんとかならんかのう。貯水池を300年も守ってくれた森じゃ」
大ババ様「手遅れになれば谷は腐海に呑み込まれてしまう。燃やすしかない」
風の谷の若者「くそっ、あいつらさえこなければ」
映画「風の谷のナウシカ」より(セリフは多少うろおぼえ)
頭の中に風の谷のナウシカの1シーンが再生される。主人公ナウシカの国、風の谷に墜落したペジテの船には腐海の胞子が付いていた。焼き払いから逃れた胞子が発芽して、清浄だった森が一気に胞子に侵されていく場面だ。大ババ様は谷を守るために森を燃やす決断を下す。貯水池を守り国民の生活を支えてくれた大切な森。国全体が生き延びるために、森という大事な一部を切り捨てなければいけなくなったのである。
私もその1億分の1くらいのスケールで脳内会話をした。
「チェーンを切るしかない。ひし形のネックレスはもう使えない」
「なんとかならないかな。なんだかんだで今まで首回りを華やかにしてくれたネックレスなのに」
「チェーンを切らなければ、アメジストのネックレスも使えなくなってしまう。これは人からいただいた思い出のあるアクセサリーだ。切るしかない」
「くっ。輪ゴムさえこなければ」
脳内の大ババさまの決断に従い、私はひし形ネックレスのチェーンにハサミを入れた。何箇所かハサミを入れるとチェーンはバラバラとなってアメジストのネックレスから落ちた。
私はぶんむくれてふとんにこもった。母親の善意もわかったが、どちらかというと余計なことをしなくてもよかったのにという気持ちが強く、こんな感情の時は普通の会話ができるわけがなかった。今は気が立っているから話しかけないで欲しいと伝えて、頭を冷やすこととしたのだ。
令和っ子が誕生している今現在、布団にこもった私の頭の中には昭和枯れすすきのサビ部分に合わせた歌が流れてくる。リアルタイムで享受した世代ではないけど、サビだけ知ってるシリーズである。
♬小麦粉に負けた〜
♬いえ輪ゴムに負〜けた〜
後日、すっかり頭の冷えた私は母親とは何事もなくすごし、より大事なアメジストのネックレスが生き残っただけでもよしとして、新しいアクセサリーを追加することにした。ただし、小麦粉と輪ゴムはアクセサリーに使わないでくれとだけお願いしている。怒りが持続できない令和枯れすすき。
今年は小麦と輪ゴムとネックレスのように、誠に斜め上のできごとの多い年となりました。12月は気持ちが落ち込むことも多く、自分が対処・経験してきたことは無駄にしかなっていなのかもと苛むこともありました。が、決して無駄などではなかったと後から振り返ったときに言えるように、新年にむけて(といってもあと1日と数時間ですが)ガンガン活動していきます。