職業病と呼ばれるものがある。
その仕事に従事する過程で体に染み付いた癖のようなもの。看護師なら相手の顔色や動作を観察するし、バッグをに携わるなら、目の前の相手がどんなバッグを使っているのかチェックしたりする。
私は以前ホテルの客室清掃をしていたことがあるのだけど、その時の癖が抜けない。
旅行の雑誌やパンフレットを見たとしよう。いいなぁ、泊まりたいなあとはいかない。湧いてくるのはその部屋を自分ならどう清掃するか、という発想だったりする。
このベッドはどんなタイプだろうか、スプレッドなのかデュベなのか。このホテルの形はどうなっているんだろう。リネン庫はどこにあって、部屋からリネン庫まで片道何分かかるんだろうか。そんな考えばかり。
「あー、いやだいやだ。」
友人と話していて笑ってしまった。職場の先輩だった人で、向こうも同じ癖があるらしかった。身体に染み付いた習慣はそうそう簡単に抜けない。
先日、価格帯の高い服のお店に行った。昔からだけど、どうも服のセンスがない。ないというか、何を着ればいいのかわからない。雑誌を見ても、やたらと根が張る服ばかりで、自分の生活に落とし込んで活用することができずにいる。カメラに例えるとずっと焦点があわないままだ。
でも、初対面で会う人ばかりの生活になったので、さすがにそれはまずい。そう行きつけの美容院ではなしをすると、服や色を見立ててくれるからと店を教えてくもらったのである。
私はびびってしまった。ふだん、UNIQLOと無印良品とその時に気になった服のお店を渡り歩いている私には、異質の世界だった。見も蓋もなく言うと高いのである。この服を何枚か買ったら家賃と同額になるな、と家賃換算する自分が悲しい。
美容院さんが紹介してくれた店員さんは、私に合う色や形を丁寧に教えてくれた。
気をおくれした私から出る言葉はなぜか「すみません」ばかりだった。
合間合間に服を勧める接客の仕方が素晴らしい。
「なるほど。すみません」
服が好きで好きで、装いを楽しむことは生活の喜びなんだと言う。
「そうなんですね。なんかすみません」
「色々ありがとうございました。すみません」
すみませんばかり。卑屈だった。なにか失礼なことをしたわけでも、悪いことをしたわけでもない。それなのに、引け目から、ついついすみませんばかりが出た。
「こんな高いところ私にはふさわしくない」
そう思ってしまう。キラッキラには「すみません」の癖が出る。接客も商売だから、自分から敗けをさらしているようなもの。こんな認知の仕方はおかしい。でも、なおっていない。価格帯の高い衣料装飾品の店に行くとなんか申し訳ない気持ちになる。私なんかがいていいのかしらと思う。
これが、高級品でも文房具だと何も思わない。銀座のモンブランとか平気で入る。手持ちがなくても、ショーウィンドーにかざられ、ライトを当てられた万年筆を見るだけで幸せな気持ちになる。出るのは「ありがとう」位である。だから、見た目や美しく装うことに引け目があるのだとしか思えない。
自分がどんな状況になると引け目を感じるか、観察するのも面白い。
昔からの癖は抜けていない。(あくまで私にとっての)高級衣料品店に入ったときに増える「すみません」。いつまでも謝っていても変わらないぞ。ならバンバン入っても平気なくらいに鍛え直そうと思う。バンバン買えるようになればなおよし。いや、順番逆かもしれない。