こんにちは。ダイエットしているはずなのに、newdaysでチーズドックを連日食べているemiです。まだまだ、梅雨だ。いけるはず(?)。
機会があり、新潮社の校閲講座に飛び込み参加をしてきました。
今回教えていただいたのは、校閲畑40年、大ベテランの井上孝夫講師です。「わーい、すごーい。どんなお話が聞けるかな♪」、軽いノリのわたくし。校閲は以前別の会社で従事したことはあるのですが、そちらは金融関係でした。文芸書の経験はないので、どんな話がお聞きできるのかワクワクして参加しました。
「今から15分時間を取るので訳文に赤を入れてください」
英語!
そういえば翻訳校閲だった!!
ほんやく、ほんやく。ほんやくこんにゃくお味噌味。うぉう。
撃沈!!!
その後は答え合わせ。ここらへんわからなすぎて、意識をドラえもん日本誕生に合わせて、現実逃避です。(ごめんなさい)
さて。
翻訳校閲とは、文字通り外国語の翻訳文に校閲を入れること。翻訳というだけでもなかなか知り得ない世界なのですが、興味深かった中で、主に発音や発声と転写式による日本語翻訳の違いについて、ご紹介していきます。
①発音と文字について
言語は発音と文字に分かれます。
◆発音について
発音は国際音声字母(IPA。現在はIPS)を通して日本語に変換するのですね。
国際音声字母とは何か?
学生時代に英語を習った時に、単語の横に発音記号として意味不明のアルファベットが一緒についていなかったでしょうか?
æ とかəとか ʊ といったよくわからないアフルァベットのような記号です。
(校閲講座配布資料より)
https://ja.wikipedia.org/wiki/国際音声記号
それが、国際音声字母(International Phonetic Alphabet)なんですね。
国際音声学会があらゆる言語の音声を文字で表記する目的で定めた音声記号で、これを通して外国語の発音を理解するわけです。(ということを初めて知りました)
◆文字について
そして、文字は外国語をそのまま転写するのは難しいので、IPAを通した音声をカタカナに当てはめるわけです。
あてはめるのですが、日本人の感覚によるので、大元の言語の発音とは違う部分もどうしても出てくると。翻訳ってむづかしい(汗)
たとえば、日本語をIPAにあてはめても、「ざぶとん」は(dzabuton)(uは実際は崩したような形で、dzがつながっています)、「ござ」は(goza)となり、同じ「ざ」でも発音は違うとわかるのです。(同一音韻・別音声といいます)(ちなみに「そいつぁ」(soitsa)と「そいさ」(soisa)は別音韻・別音声、本当はtsがつながっています)
これは面白かった。
外国語を日本語に持ってきた場合、どうしてズレが生じるのか。そもそも、外国語を日本語に翻訳するという作業はどういう工程を経て行われるものなのか。
わからない言語をグーグル先生に頼んで訳してもらうことは簡単にできます。ただ、翻訳の本質をなかなか知る機会はありません。国際音声字母も、講座に出席しなけらば知らないままだと思うのです。
②発音について
母音って「あいうえお」のことでしょう?の知識しかありませんでした。
母音は発音する時に妨げの少ないもの。子音は妨げの多いものだそうです。
そもそも声の通る道には調音点という、閉じたり、せばめたりする場所があり、その位置の違いで異なる言語音が生まれるそうです。(母音の「あいうえお」も場所がそれぞれ違う)
人の横顔と口の形の絵を描いての説明。日本語を長年使ってきているはずなのに、体の仕組みとしてはどうなっているかなんて考えたことがありませんでした(汗)
③文字転写式と音声転写式
では、実際に文字に転写する場合はどうするのか?
例えば。
実際には「ドストエフスキー」として使われているロシア文字を、字になるべく忠実に転写する文字転写式で訳すと「ドストイェーヴスキィ」。発音になるべく忠実に転写する音声転写式で訳すと「ダスタイェーフスキー」。どちらに焦点を当てて文字にするかで全然違ってしまう。
マクドナルド(McDonald’s)やニコン(Nikon)が英語だと全然違うのは、よく話題になりますね。
ニンジャとかワサビとか、日本語でそのまま通じる言葉が増えてくれないかしらん。(怠け者)
もう、本当に言語に忠実に翻訳するなんてなみなみならぬことなんですね。
最後に:羅針盤があるということ
発音や発声などについて書きましたが、そのほかにも日本語のP音の変遷と表記の関係や、音韻体系の違いなどに加えて翻訳校閲の勘所の説明など、ぎっしり詰まった内容でした。(最後には外国語の歌が登場!)
印象的だったことは、一冊の翻訳書が出版されるまでに、本文だけでも、原作者と翻訳者という「二人の創作者」がいるということ。
そこに編集者、校閲者と更に関係者は増えて、翻訳出版というだけで、その労力たるや、どれほどのものなのかと気が遠くなるようでした。
それでも、井上講師が長年に渡って真摯に翻訳校閲と向き合ってきたことが、講義や佇まいを通して伝わってきます。
書籍も立派な商品です。一つの商品を作るということが、どういうことなのか。どんな在り方が大切なのか。実技的なところに加えて学ぶことができてものすごくありがたかったです。
私も添削や文章を書いたりしますが、こだわればこだわるほど、作業量が膨大になります。そして商売ですから時間がいつも天秤にかけられます。(どこの仕事も同じですが)
どこまで踏み込めばいいのか、どんなスタンスで取り組むのか、どのように結果に結びつけていくのか。小さいながらもいつも手探りです。
そのなかで、一冊の翻訳書を生み出すために、真摯に向き合っている校閲の大先輩がいると知っていることは、大きな羅針盤です(勝手に先輩扱いするという)。
締め切り間際だとギャースとなるのですが、困ったり迷った時に、今回感じ取った気持ちを大切にして、一歩一歩、着実に歩いていきたいと思えた講座でした。言葉は裾野のとんでもなく広い青い山ですけどね。