商店街を裸足で走る母と天ぷらが怖い娘の話

過去投稿分(2016年12月~2023年12月)
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母の日を通りこして父の日がやってこようとしていますね。

うちは結婚記念日と母の日が同じ月のため、

12月31日に生まれた紳士淑女のみなさんのように、

クリスマスと誕生日と新年を一気に祝うようなセット盛りのお祝いをしました。

 

私の母親は大変豪快な人です。

わたしが幼いころは、アイロンをうっかり倒したままにして、廊下に根性焼きを入れたりしてました。

廊下にはあの三角形の頂点の部分を引き延ばしたような焦げ跡が。「俺(アイロン)に触れたら火傷するぜ」。そう言わんばかりに、焦げあとはリフォームするまで圧倒的な存在感を見せつけていました。

そんな彼女が「目の調子があまりよくないのよねぇ」とのこと。じゃあ眼科で診てもらったら?と勧めると、

 

母「だって怖いじゃない」

私「気持ちは分かるけど、早めのほうがいいよ」

母「だって、メスでさぁ。こう、ね。してくるでしょ?怖い」

私「?!」

メスを構える眼医者のポーズを取りながら、怯える母。

確かに眼医者はメスを持つこともあるでしょう。医者だし。しかし、初診でいきなり患者にメスをかざす眼医者はいないはず。いるとしたらどこの映画なんだ。

疑問に思い、母親に理由を尋ねました。

私「なんでそう思うの?」

母「私ね、ちっちゃいころトラコーマの手術に行ったの。眼科に。」

私「うんうん」

母「わかるわけよ。先生がメスもって、眼の近くに触れてるって。」

私「そうなんだ」

母「怖い!って思ったから、裸足で逃げ出しちゃった♪商店街を走って家まで帰ったわぁ」

私「!!(ありえん……)その後、どうしたの?」

母「で、そのまんま♪だから眼科いやなのよぉ」

私「(おばあちゃんたちは脱走した後の処理どうしたんだろう…)でもね。昔は昔。今は今だから」

母「やだー。」

私「前にこだわっていても仕方ないでしょう?」

母「同じかもしれないじゃない」

 

んっ?

大昔にこだわって怯えている母に呆れる私。しかし、この時思い出しました。

わたし、これと似たような経験をしたことがあるなあ、と。

 

似たような経験。

それは天ぷらです。

 

天ぷら―具材を小麦粉などに絡ませ、熱した油で揚げる料理―大変恥ずかしいのですが、私はほんの数年前まで天ぷらが怖くてげられませんでした。

想像の中の天ぷら。

 

油を満たした鍋。

 

ガスを点火する。

 

火の神様がその瞬間燃え上がり、はるか天井まで火柱が立つ!!!! 

 

宮崎駿監督『千と千尋の神隠し』に、オクサレ様というヘドロだらけの神様が出てきますね。

 

湯屋で働き始めた千の初めてのお客さんとして、湯治にきた神様です。

 

私の想像の中で燃え上がる火柱は、まるでオクサレ様フォルムの炎バージョンでした。

 

油を熱すれば即火の神様が立つ!という想像に私は長年煩悶してきたのです。揚げる以前の問題。

 

それでも、天ぷら自体は美味しい食べ物。数年前に岩塩をつけて食べた天ぷらの味に感動。サクサクの衣、さつまいもの甘さ、海老のプリプリさ、茄子のすあげの美しさ。あぁ、しあわせ。

 

「火の神様妄想を克服しよう」

 

この瞬間に火の神様妄想よりも、現実の天ぷらを食する幸せを選んだのです。妄想よりも天ぷらラブ。

 

さっそく実家で天ぷら作りに挑戦。油をとくとく天ぷら鍋に注ぎ、火をかけます。

 

しばらくシーンとしている油の大海。火の神様は襲ってきません。私は怖くて母親に傍に付いていてもらいました。30過ぎたいい大人のすることではありません。いや、ほんとに怖かった。ドキドキしながら、ほぼ最初から菜箸を突っ込む己のビビり加減が嫌になりました。

 

火の神様がくるのではないか。

 

しーん。

 

火の神様がくるのではないか。

 

しーん。

 

火の神様が……。

 

「温度、もういいよー」

菜箸からちょうどいい感じで小さな泡が立ち上がっていました。

 

「火の神様こないで」

 

私は祈るような気持ちで具材をするりと鍋に入れたのです。

じゅうぅぅぅという、あのいい音を立てながら具材は鍋の中で衣を纏っていきます。

 

おお。

 

私はこうして、火の神様妄想を克服したのです。

天ぷらは確かに危険ではありますが、なんのことはない、鍋の側を離れずきちんと様子を見ていればいい。

 

それだけのことを身体で覚えるまでに偉く長い時間をかけてしまった。

 

しかし、何故そこまで火の神様妄想にとりつかれたのか。

 

「やれば出来るじゃない~」

30代にして初めて天ぷら揚げた娘を隣で無邪気に喜ぶ母親。

 

そうだ。

うっすらと気づいていたことを、改めて確信しました。

 

私の母親は大変豪快な人です。

 

私が幼いころ、母親はたまにフライパンを熱したままガスの前を離れてしまい、火柱を上げていました。

 

目の前で上がる火柱をみたことがあったのです。それが、幼い私にはとんでもない恐怖となって、大人になってからも残っていたようです。

 

母に前にこだわってもしかたないでしょう、といった私。

 

人のことなんていえないっ

 

昔のトラウマ超強力!!

 

こうして、商店街を裸足で走った母親と、

30代にして天ぷらを怖がる娘は、今年の母プラスアルファごちゃまぜお祝いをいたしました。

 

どんなに昔あったことでも、人は身体できちんと憶えています。

意識は思い出せなくても。

そして、身体で憶えたことは、今から塗り替えることができる。

新しい経験を積んで、それは可能になるのだと思います。

 

母が無事眼科に行けるように、天ぷらが怖かった娘は思うのです。

 

 

 

 

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