目の前のぐらぐら煮られている煮干しを見ながら思ったんですね。
煮干しって何の魚なんだろうって?
煮干しって小さいころから馴染みが深い食品ですよね。
汁物や煮物の出汁の元になるし、母親が煮干しの粉末を味噌汁によく入れてくれたのですが、
これが最後まで残ってお椀の底にたくさん溜まるわけです。
どろどろになった元粉末の塊は飲むことも食べることもできず、お椀の底で終わりを迎えたわけですよ。
で、しらべてみたら、煮干しはかたくちいわしや真いわしやいかなごなど魚貝類を煮熱して乾燥したものとある。
かたくちいわしに真いわしにいかなご……。
しらすとおんなじ!!
しらすは正確には体に色素がなく白い稚魚の総称ですが、おなじみしらす丼のしらすと言われて想像するのは、かたくちいわしに真いわしなんかじゃないかと思うんです。
と、いうことはですよ。
かたくちいわしや真いわしは稚魚の時にしらす丼の恐怖から逃れ、成魚になってからは煮干しの可能性から逃れて人生を全うするというハードコース設定だということなんですね。
高橋留美子さんの漫画に境界のRINNEがありますが、その漫画の中では前世、生まれ変わりがありなんですね。主人公りんね君のおじいさんは鯖に生まれ変わってますし。
じゃあ、もし前世や生まれ変わりがあるとしたら。
もし、人間のような自意識をもったかたくちいわしや真いわしとして生きることになったら。
どんなことを考えたり、思ったりしながら魚人生を送ることになるんでしょうか?
命が終わるときに俺(私)は丼にも煮干しにもならずに生き抜いたよ。
仲間にも恵まれた。
子供もたくさん生まれた。
いい、人生だった。
とか思ったりするんでしょうか?
いや、なんか、そんなことを想像してみました。
実際、どうなの?