校正と創作のスイッチはどうやって切りかえるのがいいかを考えてみた

過去投稿分(2016年12月~2023年12月)
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私が校正の仕事をするようになったのは 29歳の時だった。

それまで働いていた事務職の仕事を辞めて、 出版社でアルバイトとして働くようになった時に、 初めて担当したのが校正という仕事だった。

当時の私はやさぐれていてた。もうこれからは、人とあまり関わらずに生きていこう。今考えると笑えるんだけど、 当時は割と真剣にそんなことを考えていたのだ。昔から人間関係が苦手だった。気を使いすぎてぐったぐったに疲れてしまうのだ。が、相手には気を使ってるようには受け取ってもらえないため、どうすればいいかわからなくて余計に疲れるという悪循環だった。

校正の仕事と前後して校正の学校にも通っていたが、実際に現場でやると全然感覚は違った。

作業自体は地道に文字を1文字1文字を追っていく、それをひたすら繰り返す。任せられる仕事は一人一人違うので、職場には出勤していても、ほぼ完全な個人作業になる。自分の担当している作品と他の人の担当している作品は違う。全体としてはひとつだけれども、基本は個人プレーで成り立ってる仕事だった。

気をつけなければいけないことは、文字の意味を取らないこと。もし文字の意味をとれば、脳みそは内容を読み取ろうとして勝手に補正してしまう。

例えば、句読点が抜けているのに見逃してしまう。どうすればとどうずれば、ひらがなの「へ」とカタカナの「ヘ」の形。間違いはどこに潜んでいるかわからない。

形をとらないようにするための工夫が必要だった。ぎょうにんべん、読点、句読点、かっこ、かいぎょう、字下げ、行アキ。私は形を読み込むように何回も頭の中で形を繰り返し言っていった。

そんなことにようやく慣れ始めた頃。 私は誰かと何かを喋りたくなってたまらない症候群になった。

日中ほとんど人特徴話す口を使う機会がなかった。昼食の時に話すことはできるけれども、それでは足りなかった。私はちゃんと自分の考えを言葉にして相手に向かってしゃべりたくなった。

おかしな話だった。もうこれからは人と関わらないで生きていこうと決めたはずなのに。 いざ自分が人とあまり喋らない生活に身を置いてみると、 実はそれは到底無理だということを痛感したのだから。

人の中に入っていけば孤独になったし、 孤独になったと思ったら、すごく人の中に入ってきたいと思うようになったり。全然安定してなかった。それでもそんなことを繰り返しつつ、人との付き合い方で知恵をつけていった。下手くそは下手くそなりに受け身をとりかたを覚えていったんだと思う。

それからは、清掃の仕事をしたり、 新聞社で校正校閲をしたりとなんだか訳のわからない職歴をたどった。そしてまた校正の仕事をしている。一周した気分だ。

今はライターや添削の仕事もしているけれど、 脳みそのスイッチの切り替え方がとても重要だと思っている 。私は医学は詳しくないし、 脳みそがどうとかのことは全くわからない。

けれど実感として、校正で使うときの脳みそは枠に押し込む部分を使っていると思う。計算とか論理とかの部分だ。

一文字一文字ずつ間違いがないか追っていくのは、あらかじめ作られた文章が間違ってるという前提で追いかける必要がある。

例えば「あら、いやん。ばかん」と出たら、文章がちゃんと「あら、いやん。ばかん」になってるかどうかチェックしなくてはいけない。

徹底的に疑ってかかることに加えて知識や情報は頭に入って来る。でも、それを自分の言葉に出して発散する機会というものを持たないとバランスがとれなくなる。これが私が校正の仕事をする上で難しいと感じたことだった。

一方で、 物語を書くであったり、エッセイを書くといった創作系の文章の時は真逆の脳みその機能を使ってるんだと思う。

感情が大きく揺さぶられ、自分の体験したことや、思ったことや、考えたことをどうしても書かずにはおれなくなった時に文章を書くエンジンがかかる。もしくはその状態を生み出しやすい環境を自分で作り出したり整えたりする必要がある。これは枠にはめるのではなくて、枠なんてなんぼのもんじゃいと枠の外側へはみ出す行為だ。

よく校正の仕事をしようとすればするほど、今度は創作の枠をぶち壊す感覚を削ってしまう。枠と枠をはみ出す切り替えスイッチがどうしても必要なのだ。

去年まで文章の教室に私は通っていたけれど、 私に文章を教えてくれた先生はビジネス書も書けるけれどフィクションも書ける方だった。

印象に残っているのは、ビジネス書を書くときに使った時のテンションで、創作系の文章はかけないと言って切り換えに映画を見に行っていたことだ。今なら先生の言っていたことが実感としてわかる。

私がてっとり早くていいなと思う切り替えスイッチは、水回りの掃除をすること。あと料理をすること。(といいつつ失敗するけど) タネ玉ねぎを刻むのでもいいし、ジャガイモの皮をむくのでもいい。 どれも具体的に手を使う。そして没入する行為だ。

最後の文章を気にかけながら、 お風呂の掃除をするのは難しい。包丁握りながら皮を剥くときに、人に言われたことを気になんかしていたら、怪我をしてしまう。要は体を使って没頭できるものなら何でもいいんだと思っている 。

とはいえ、1日の中で校正とライターをバランスよくできるわけではないし、実際のところ切り替えるスイッチはなかなかしんどいこともある。

でも、習慣できるかどうかが大切なのだと思う。

今までに何を積み重ねて何を積み重ねてこなかったのかが、 今の自分を作り出している。

今まで活躍している人を見てきた。文章を教えてくれた先生も見事に仕事で結果を出し続けている方だったけれども、自分のことをよく知り、何が得意で、どういうときが弱くて、じゃあその時にはどうすればいいのかということをよく把握していた。そして得意なことに特化するために、不要と思われるものを厳密に徹底的に削いでいた。

私の習慣といえば自分を責めるのが好きなんだなあ、ということくらいだ。

過去のどの時点かはわからないけれど、どこかから、自分を責める習慣というものをひたすら繰り返して来たのだと思う。そういうのがあること自体がいけないとは思わない。だってもう繰り返してきたことをくやんでも始まらないので。

だから、それはそれとしつつ、もっと肩の力を抜いて暮らせる習慣もここから付け加えていこうと思っている。

 

しかし、グーグル音声入力はかなり精度が良くて優秀です。(今日の記事も音声入力して清書してます)

何と言ってもタイピングするよりもはるかに早く入力できる!ありがたや〜

改行できない、句読点が入れられない、などの箇所はありますが実に正確に聞き取ってくれるよ。

また、入力方法によって出てくる言葉の調子も変わるのも面白い発見です。

手書き、キーボード、音声、みなさんもおためしあれ〜( ^ω^ )

 

 

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