最近初めて「文字酔い」を経験した。時間制限のある作業で、時計とにらめっこしつつ記号と文字を行ったり来たりして間違いがないか確認していたのだけど、文字に目を通そうとした瞬間に吐き気が込み上げてきた。
車とか船で酔った時を思い出して欲しい。あの込み上げてくる不快さが文字を見た時に再現されてしまったのである。時間に追われるのは初めてではないのに、いきなりの経験に驚きました。こうくるかと。
こうくるか!
日常的にわりと経験しないでしょうか?電車に乗ったらネイル塗っている女性がいて、車内はシンナー臭で充満していたとか。超満員電車でつり革に、手とスナック菓子を挟み込みながらポテチを食べていたとか。背の高い人が電車が急ブレーキかけても絶対に動こうともせずに、肘が自分の目にあたりそうでヒヤヒヤしたとか。
というわけで校正のこうくるか!をさらしてみようと思います。
普段、校正する時は文章の意味は取りません。形で見て判断します。たとえば「山」という漢字が出てきても、「やま」と認識しない。元の文章と比べて、この場所に「山」という形があるのは正しいのか正しくないのかで判断します。
(例)「鎌倉へ行った」
読む場合:(文章)鎌倉へ行った
→(認識)かまくらへいった
校正の場合:(文章)鎌倉へ行った
→(認識)金へん
→兼
→口
→「倉」の形をチェック
→「へ」ひらがなかカタカナかチェック
→ぎょうにんべん
→促音「つ」かチェック
→「た」の形
ネタ元:筆者のある日の脳内
こんなかんじです。
脳みそはとっても都合よくできているので、平気で錯覚をおこします。もし文章の意味を認識しながら校正を進めると、誤字脱字があっても、間違いがあったとは判断しない。この文章の先が知りたいから、間違い箇所を視覚では捉えていても、スルーして先を読もうとしてしまう。
それでは校正にならないし、単純に「読む」だと「形を判断する」よりも作業に時間がかかってしまい、仕事にならない。ということで、脳みそでぶつぶつぶつぶつしてます。
意味をとっては仕事にならないと言い聞かせているのですが、時々それをあざ笑うかのようなボスがやってきます。いきなりラスボス。略していきラボス。
校正は底本とゲラを付き合わせるのが基本的な作業ですが、中にはめくり校正といってページを何回もめくって間違いがないかを確認したり、素読みといって元になる資料がない状態で誤りをみつける作業などもあります。だから読み合わせをしてくださいと言われた時もわかりました、ただそれだけでした。
読み合わせは文字通り人と組んで文字を間違いがないか読み合わせる作業です。声に出して自分の担当した部分を読み合うのです。
よく晴れた午前中のことでした。春の光が築うん十年の建物に降り注いでいました。給湯器のついていない給湯室(矛盾)や蜘蛛や蜂が紛れ込んでくる職場では、同僚が黙々と自分の担当分の校正に取り組んでいます。時間を知るためにつけられたAFNと官能小説を読み合わせる相手と私の声だけが職場に流れていました。
官能小説の表現は独特でプロの作家の描写の仕方に感銘を受け…どころではありません。
わー、めっちゃはずかしい。周りに聞こえてるし。
でもこれは仕事なんだ。
官能小説耐性がなく兼つ小心者のわたしは、昼間から口に出すのをはばかられる様なエロスの表現を職場中に聞かせていました。内容もさることながら、周りの人がどう思っているのか気になって全然集中できてない。
午前中から卑猥なことを口にしている自分はどうなのと。
おそるおそる後から同僚に聞くと「あぁ、そういえばそんなことを言っていたような」ということで、自分の仕事に集中しており、気にもとめていませんでした。そう、周囲の目(耳)を気にしていたのわたしだけでした。
自意識過剰な部分へこうきたか!の攻撃をしかける、おそるべきいきラボス「官能小説」。まだまだ修行が足りないのだ。圧倒的な攻撃をしかける官能小説にいつか私は勝ちたいと思っています。
いや、勝ってどうするの?というツッコミはとりあえずなしで。