あっといういう間の10月ですね。
先月、神奈川県川崎市にある日本民家園に行ってきました。文字通り日本の古民家を次世代に引き継いでいこうと運営されている、古民家の野外博物館です。それぞれ興味深かったのでレポートします。
日本民家園はどんなところ?
古民家といったら世界遺産の富山の白川郷・五箇山の合掌造り集落が有名です。

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日本民家園では合掌造りに限らず、さまざまな地域から古民家を移築して保存展示しています。「信越の村」「関東の村」「神奈川の村」「東北の村」の4つの地域と「宿場」でできていました。
日本民家園では、東日本の代表的な民家をはじめ、水車小屋・船頭小屋・高倉・農村歌舞伎舞台など20数件の建物を見ることができます。さらに、昔の民家生活をたのしんでいただけるように、園路には道祖神・庚申塔・馬頭観音・道標などの石造物、また民家内には農具や生活用具類を展示しています。(日本民家園パンフレットより)
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本物はすごい
入り口正面
中で入園料(大人500円)を払い、余分な荷物はロッカーに入れるなどして、進みます。
建物によっては中に入って見学できるところがあります。
立派なシャンデリア(原家住宅:神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町 上棟明治44年)
馬方と馬が泊まる宿屋。(鈴木家住宅:福島県福島市松川町松本町 19世紀初頭)
実際に動いている水車
実際に水車が動いているだけでなく、中のひきうすやつきうすを見ることもできます。水車の役割を実際に目で見るのは初めてでした。
とても暑い日でした。水が気持ちよさそう。
また園には庚申塔があるんですが、なんでも昔は人の中に虫がいると考えられていました。それが旧暦で60日に1回訪れる庚申(かのえのさる)に眠ると、その虫が天に昇って天帝に当人の悪事を報告するそうです。中国の道教の考え方です。それが虫が抜け出せないように徹夜する風習として広まり、次第に集会(講)になって、庚申講を3年18回続けた記念に建立したのが庚申塔だそうです。なんて私も教えてもらったのですが。
いろんな角度から古民家を見られる
古民家は昼でも中は暗いです。夜は家の中でも真っ暗なんだろうな。
佐々木家住宅(長野県南佐久郡佐久穂町畑 享保16年)
一休み
峠の茶屋みたいな気分に。栃の実大福をいただきました。ポリフェノールがたくさん入っているそうです。お肌が綺麗になるでしょう(希望観測)。
案内版が立っているのでわかりやすかったです。
豪雪地帯の古民家
山形県出羽三山の麓から移築した農家。冬は雪で入り口が埋まってしまうため、高窓が臨時の入り口になったそう。(菅原家住宅:山形県鶴岡市松沢 18世紀末期)
床上げ公開と昔のプライバシー
床上げ公開と言ってボランティアスタッフが囲炉裏に火を入れている数頭の古民家がありました。室内に上がり、自由に見学もできるとのこと。
年配のボランティアスタッフがすごく親切に説明してくださいました。
古民家は木材でできています。定期的に囲炉裏に火を入れて燻すことによって、虫が付くのを防いだり、食材に火を通したりするのももちろん、昔は団欒の場所だったそうです。
寝室にあたる部屋はプライベートな場所とされ、他所から来た人にもわかりにくいようにする工夫されていたとのこと。今と違い、作業所や家畜を飼う場所が家にあるし、基本的にプライバシーないんじゃ。昔の生活、公私にわたり色々ハードです。
最後に
見学できる古民家の他に補修をしている家も何棟かありました。足場を組んで屋根に登り、藁を吹いているんですね。
登るのも藁を運ぶのも吹くのも全部人力。足場も細い中を藁を担いであるいていきます。真似できません。
「日本民家園の建物は東日本大震災の揺れにも耐えて現存している」
そう、ボランティアスタッフの男性は教えてくれました。
やはり建物は構造がしっかりしていると全然ちがうんだな。そう思ったのですが。
建物は壊れても結局直せるんだよ。
でも、人間は壊れたら直せない。
建物の損壊は免れたものの、震災以降は園内でも大地震に備えた設備にも力を入れるように。民家園を訪れてすごいと思ったのは建物と人の営みでした。
今まで見てきた立派な古民家は、考えて形にしたのも、古民家で暮らしてきたのも、その技術を受け継いで現在も移築改修できるのも、この園の必要性を感じて昭和42年から開園したのも全て人の力によるもの。人を大事にしていくことが文化風習を未来へ向けて伝えていくことに繋がっていくんだなと思います。
日本民家園は生田緑地の中にあるだけあって、緑も豊かです。紅葉の季節なんて本当に綺麗なんだろうな。以上、日本民家園レポートでした。
よい1日を!