2018年の年が明けた。
今回は大晦日と原稿の締め切りが重なり、年末感のない年越しを体験した。
その前もインタビュー記事を大晦日に書いていたような気がするけど、この際忘れることにする。
きっと気のせい。たぶん。
今年は実家で新年を迎えることができた。
私が風呂からあがると、家族は新年を待たず夢の世界に入っていた。
年越しイベントもゆく年くる年にも興味がないらしい。
そんな新年ってありだろうか? 新年感がまるでないじゃないか。
私はなにか虚しいものを感じた。
紅白歌合戦は譲るとしても、ゆく年くる年を見ながら新年を迎えるくらいはしたい。
そう思い私は家族全員を急遽起こすという暴挙にでた。
ああ、せっかく布団の中で寝ていたというのに。
年末まで迷惑!!!
日本酒とよっちゃん(という名前の酢イカ)を揃えて急遽年越し酒盛りの開始である。
テレビではゆく年くる年が流れていた。
全国各地の寺や神社が映し出される映像を見ながら、私はようやく落ち着いてきた。
新年が明けたとしても、私たちの生活は地続きでつながっている。
陽は変わらず登り、そして沈む。
私たちも命ある限りは生活を続けていく。
その中でゆく年くる年は厳かにささやかな区切りを提供してくれているんだ。
はじめてゆく年くる年のありがたみを感じた。
ささやかであっても、緩やかでも、何かを提供することはきっとできる。
強烈なアピールで強く訴えることもできるけど、
伝える方法はそれだけではない。
そう、思う。
2018年は伝える方法、表現する手段を模索していきたい。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。二日酔いはしてませんよっ。