はじめましての自己紹介

お知らせ
この記事は約5分で読めます。

改めて自己紹介

こんにちは。
私は校正・校閲に長年携わったのち、個人事業主として独立しました。2020年のことです。紆余曲折あり、ここ一年ほど働きかたを変え発信自体もほとんどご無沙汰しておりました。
今回、再度活動していくにあたり、自己紹介も兼ねてこれまでの経歴を記します。どうぞよろしくお願いいたします。

就職したら、説教くらって転職する(独立以前①)

1978年、山梨に生まれ。氷河期世代と呼ばれる世代です。
新卒で就職は叶いませんでした。とはいえ、こちらも働かなくては生活できないので、紹介してもらったホテルで働きはじめます。
働き始めて間もないGWの頃、親戚の集まりでホテルの客層のことを祖母に話すと、烈火のごとく怒られました。
亡き祖母は大変怒ると怖い女性です。説教くらった挙句にその場で退職連絡を入れることになりました。祖母の名誉のために言いますと、心配性で愛情深くて怒ると怖い祖母が、私は今でも大好きです。

人生の船出、いきなり難破です。

その時のことを書いた記事はこちら

作家を目指したはずが、ホテルで清掃を始めた(独立以前②)


その後、中途採用で事務職として働き始めます。仕事も一巡して業務に慣れた頃、萩原規子さんの「空色勾玉」に出会います。自分を別世界に連れて行ってくれる物語に魅了され、自分もいつか物語を書こうと出版社に転職します。
とはいえ、校正のアルバイトとして長年働くも目の前の仕事で精いっぱいに。フルタイムで働いてはいたものの、経済的にも苦しい時期が続きます。

従事している仕事で考えもいっぱいになってしまう性格で、並行して物語を書くことができませんでした。
これではいけないと、仕事を辞めホテルで客室清掃を始めます。ダブルワークで帰宅する頃には日付が変わっていました。
駅前のマックでフライドポテトLを食べて帰宅してるのに、体重が減る一方でした。摂取量より消費量が大きいと体重は減るんですね。

コロナ禍で独立して、黒歴史をまとめた同人誌を販売しました

その後、新聞社の校正・校閲、出版社での校正を経て、2020年に個人事業主になりました。ライター兼校正校閲として、インタビュー記事やWeb記事の執筆、書籍の編集・執筆、校正・校閲などを経験します。

校正・校閲業務だと記念誌にも携わらせてもらいました。

2022年からは、友達の気軽な一言がきっかけでデザフェスや文学フリマにも共同出展するようになりました。数々のやらかしたことを500円黒歴史本として販売します。
裁縫のめちゃくちゃ得意な友達(出展ベテラン)といっしょに共同出展したこと、直接買ってくださった方の反応が伝わってくること、世の中にはジャンルも興味の方向も商品も人の数だけあると知ったこと。出展したことは得難い経験ばかりでした。

これからは絵とものがたりを活動の軸にします

「自分もいつか物語を書こう」そう思い転職した時から、赤ちゃんが高校生に成長するほどの年月が経ちました。

その間、私は同人誌を出したことを除き、形らしい形の物語を作れていません。それなのになぜここまで物語こだわるのか。私にとってイメージを形にすることと伝えること、喜んでもらえることが自分を自分たらしめてくれることだからです。

また、祖母を出発点としてその時々でこれまで沢山の人たちにお世話になり、助けてもらいながら生きてきました。亡くなったり二度と会えなくなった人たちもいます。彼らに手渡されたものを、ささやかでも社会活動を通して次に出会う人たちに渡していきたい。
それが40代になった自分の方針であり、願いです。

今後は絵とものがたりを活動の軸にしていきます。
長らく文章を執筆することにこだわってきたのですが、
イメージを形にすることが大事で表現方法は文章だけにこだわらなくてもよいと、ようやく受け入れることができました。

絵を発信していくことも、すべてはこれから試行錯誤の段階です。正直いうと怖いなあ。でも、例えうまくいかなくても、また顛末をまとめて公開するだけのことです。もしかしたら絵を描きたい文章書きの人の参考になるかもしれません。私は経験値が溜まる上に、人の役にも立つ(かもしれない)ハッピーセット路線でいきます。

合わせて、ペンネームもフセジマからフセジマ ナノハに変更いたします。
早速ですが、直近の出展スケジュールです

・11月17日(日)コミティア150
・12月1日(日)文学フリマ東京39

今後ともよろしくお願いいたします。

タイトルとURLをコピーしました